日記
「残暑厳しきおり」
こんにちは。
夏も終わりでしょうか?
ソロキャンプをしようと外に張っていたキャンプテントが、先日の豪雨で壊れてしまいました。
復旧不能なほどの全壊でした。
いえっ、あきらめませんよ。
なんとかして直します。
ユーカリの枝が伸びてきました。
いづれ台風や豪雨で倒壊することでしょう。
大惨事にならないうちに、枝をカットしなければなりません。
鑑賞用のゴムの木です。
室内の居心地がよさそうです。
葉っぱの色がとてもきれいになりました。
このパステルミドリ、魅力的ですね。
右端に見える観賞用の木、これもゴムの木です。
モザに来た時は瀕死の状態でした。
今はとても元気です。
モザの定番、ザ・「復活」です。
因みに左の絵画は版画ですが、描かれた場所はニューヨークのセントラルパークです。
画題は「ウワイエット アフタヌーン」とサインしてあります。
翻訳すると「静かな午後」。
この絵を観ているとなんだか静かそうに見えませんか?
ツクツクホウシ(蝉)が室内のカーテンに止まりました。
この夏の一生を全うした蝉。
画像をタッチアップしてみませんか?
哀しみのツクツクホウシが観れますよ。
猛暑のなか、ずいぶんがんばったのではないでしょうか?
「チーチー・・・」
かすれ声を振り絞って鳴いていました。
彼女は見つかったのでしょうか?
心配です。
秋は目の前、もう少しのご辛抱ですね?
今日も最後まで閲覧していただきありがとうございました。」
大衆雑文家 盆 拾
貸切発表会
「なぜ?」
「なぜ?」
こんばんは。
朝夕すっかり涼しくなりました。
今日はブログの日です。
先日は執筆(小説)の日でした。
その小説の執筆が思ったより進まないのです。
しかし少しある場面から抜けでた感じもあります。
或るゾーンから抜け出ると次の展開に進むことができます。
先は長いので焦らずに続けて行こうと思っています。
さて・・・、
一昨日と昨日は大変な日でした。
普段何もない日が多いのですが、なにかあるといちいち対応が大変なのです。
その大変さをここに具体的に書き留めておきます。
突然予告もなしに換気扇が壊れました。
当たり前と言えばそうなんですが、アクシデントはいつも突然です。
事故ではありません。
機械が壊れたので修理ですね。
普通修理は買換えとなる場合が多い。
最近、家電屋さんに修理を依頼しても、
なかなか取り合ってもらえないことが多く、型式が古くて部品の在庫がないという理由などにより最終的には新品の購入を進めあられるのです。
つまり修理よりも買い換えた方が早いという結論になるのですね。
そういう業界の流れに同意しない工夫を提案したいのです。
とりあえず換気扇の蓋を開け、電源を切り機械の状況を確認。
換気ファンの羽根の廻りにすごい埃が固まっていた。
換気扇が止まったのはその埃の塊のせいだと把握。
換気ファンの種類には三種類あり、今回はシロッコファン。
シロッコファンの形状はちくわ型。
つまり大きな穴の開いたちくわの皮に簀子(すのこ)のような縦長穴を空けクルクル廻して風を送るタイプだった。
イメージ出来ますでしょうか?
多分分からないと思いますが先へ進めます。
その送風器の簀子の穴に埃が詰まっていた。
その埃が少しだったら換気扇の機能は働くが、今回はその埃が多くて壊れたという訳ですね。
ここでその埃を取り除なければならない。
簡単そうですが、そうはいきません。
敵はなかなか手ごわい。
送風機の内部は精密機械の組み合わせ。
細かい部品が重なっています。
つまりそれなりの掃除用の道具が要ります。
そういう道具というのは普通売っていません。
一般的には職人さんたちが自分ように集めるなり作るなりして修理ができるようにしていることが多いのです。
まずファンの先に入る細い掃除用の刷毛が要ります。
次に埃を吸い込む掃除機の先が太くては精密部品に届きません。
掃除機につなげるよう細い吸い口を加工します。
シロッコファンに着いた埃の塊を細い筆で蹴れんし、欠き落します。
シロッコファンの簀子は直径二十センチの円状に約五ミリ間隔にあり、裏表の埃を落として最後に全体の掃除をして蓋をする。
再度スイッチを入れ回転音を確認して終わります。
一般的にシロッコファンの場合、回転音はとても静かです。
再スイッチを入れファンが静かに回れば修理は成功です。
良かった。
うまく行ったようです。
たとえば業務用のガスコンロや冷蔵庫などの修理は約十年単位で必要となります。
それらの修理の内容はいたって単純なことが多く、たとえばコンロであれば火が付きにくい、あるいは冷蔵庫は冷えにくいなどです。
原因はおよそ部品の埃です。
コンロはスイッチの掃除、冷蔵庫はドレン(排水口)の掃除などです。
それなりの道具もいるのですが、それぞれ各部品の掃除が行き届けば、電化製品や機器は復帰します。
つまりちょっとした部品の掃除ができるとそれなりに長持ちします。
半導体などのコンピューター仕様は修理不可能ですが、アナログ機器のメンテナンスであればとりあえず、
諦めない、
原因を探る、
道具を工夫する、
などを試みる必要があると思います。
興ざめしますが・・・、
ここで修理における一般的な費用を参考までにアップしておきます。
冷蔵庫やガスコンロの修理代は基本的な料金があり、簡単な修理であっても出張料など発生し、部品取替え日を含め、最終的に約五万円から七万円は必要です。
壊れて修理する換気扇が二台だとすると修理代は凡そ14萬円。
怖いですね。
もはや修理せずにそのまま放置するか、新しく買い替えるか?
とにかく余分なお金が必要になると困るのですね。
呼吸をしているだけでお金がいるようで、どうしたらいいのでしょう?
こんないやなブログ見たくないですよね。
しかし、大衆雑文家、盆 拾は書き続けなければなりません。
書くことを止めると盆拾の存在がなくなるからです。
存在がなくなるということは、消えるということです。
この画面から消えるだけではなく、この三次元の世界から概念としていなくなる。
存在と概念がなくなると、寂しくなります。
他でもない、この盆拾が自身がです。
とにかくこのまま続けることにいたします。
そうなんです。
この世の中はなんと言ってもお金、お金です。
確か古い小説にもありました。
尾崎紅葉(1868〜1903)。「金色夜叉(こんじきやしゃ)」
貫一お宮の二人がお金に振り回される物語りです。
現在高齢者は人口が増えて、年金に振り回されています。
修理などは人に頼めません。
自分で何とかしなければならなくなりました。
修理の映像がなくて参考にならないと思いますが、文字から修理の様子を想像しイメージしていただきたいわけです。
最後になりますが・・・、
映画サウンドオブミュージック40周年記念プライム放映のお話しです。
マリア・フォン・トラップさんとジュリー・アンドリュースさんの家族の物語です。
お気に入り場面は、子供たちがお父さんいエーデルワイスの花をプレゼントを渡す場面です。
高原に咲くスミレの花のような小さな白い花、それを観て父親のトラップさんがエーデルワイスを歌いだす場面。
奥様が他界された後、長い間歌わなかった歌でした。
厳しいお父さんの廻りに子供たちが集まって聞いていました。
今は一人で子供を育てる厳しいお父さん、昔お母さんが健在だったころの優しく楽しかったお父さんのエーデルワイスはとてもいい感じでした。
そして物語の最後、オーストリアにドイツが侵略してきて、トラップ大佐はドイツ侵攻の命を受け出兵しなければなりません。
時はザルツブルグ音楽祭開幕の時、トラップファミリーは大会の鳥を飾ります。
その時歌ったコーラスは、侵略国ドイツの禁止する曲、エーデルワイスです。
その曲は反戦の曲、反ドイツの曲だったのです。
そしてトラップ一合唱団は優勝し、一家は受賞式の間に会場を抜けて外国に逃亡するのです。
映画はここで終わりです。
しかし、ブログの物語はまだ続きます。
興ざめするかもしれませんが、実は40年前に観たこのエーデルワイスの曲は、この後、盆拾氏の人生につながってくるのでした。
古い記憶で曖昧なのですが、念のためにドイツのグーグルマップを開いてみました。
ドイツ西の町ケルンか、あるいはドイツの真北の橋、ハンブルグのどちらかだったかと思いますが、町の繁華街でオルゴールの演奏をするおじさんと出会ったことのことです。
勿論チップを出して、おじさんの奏でる音楽を聴くという路上パフォーマンスですが、そのオルゴールの名前は「オルガニート」とかいうのだそうです。
紙の楽譜を入れて音楽を奏でます。
一般的にオルガニートは小さい箱が多いようですが、そのおじさんの轢いていた楽器は屋台の様に大きな楽器で、しかも大きな丸いハンドルが付いていました。
そのオルガニートの音の懐かしいこと。
文字で表現できないのがまったく残念です。
しいて言えばオルガンとアコーデオンとハーモニカを合わせた音響なのです。
おじさんは大きなハンドルをゆっくりメロディーに合わせて廻していました。
思わず、
「ぼくにも回させてくれませんか?」
って、ふつう、見知らぬ外国の地でどこの何人かも分からない通行人はそういうことは言いません。
優しい人だったのですね。
ハンドルを回させてもらいました。
するとメロディーがでました。
意外にもハンドルは重い。
車のハンドルの様にスムーズに回らない。小さなゴトゴトという振動と共に回る。
そのため同じ速度で回しにくい。
回転が乱れるとメロディーもみだれます。
思わずお礼を言ってやめました。
ここまでは無事に終わった感じです。
ところがそのあとが良くなかった。
「ありがとう、ではリクエストしてもいいですか?」
当然ストリート演奏家なのでOKのはずです。
「いいよ」
と快よく返事してくれたおじさん。
歩行天国通りのおじさんの廻りにはおじさんの音楽演奏パフォーマンスを聴こうと、多くの人が集まっていました。
嬉しくなってリクエストした曲が、
「エーデルワイス」
一瞬おじさんは沈黙しました。
聞こえなかったのかと思いもう一度、にこにこしながら、
「エーデルワイス」
おじさんは沈黙したまま。
リクエストしたのはどこの誰か分からないドイツ国民採っては言葉の通じない外国人・・・。
怪訝な顔していると、周りに集まっていた一人の若い青年が苦笑いしながら声をかけました。
多分こう言ったと思います。
「エーデルワイスはドイツに対するオーストリアの反戦歌だよ」
リクエストは受けられる訳ないですよね。
戦時中は反戦歌ですから。
戦争の苦い思い出もあるし。
悪いことをしました。
もちろんそれはそこでお開きとなりました。
こういう気まずいことって他にもあるのですね。
リクエスト曲の意味合いが国によって異なるということが・・・。
楽しくても注意しなければいけません。
参考までにある音楽をあげておきます。
ある外国での音楽ライブでの出来事です。
ジョンレノンの曲「イマジン」はとても美しい曲ですが、ある意味反戦歌としてとらえることもできなくはないと感じることがありました。
とにかく美しく楽しいだけが音楽ではないという特性を理解しておくべきでしょうか?
ところで・・・、
オルガニートって何でしょうか?
カード式手回しオルゴールの一機種です。 穴のあいた紙でできた帯状のカードを差しこみ、ハンドルを手で回すとカードが進み音楽が奏でられます。
「オルガニート」という名前の他に、「オルガニータ」「メロニカ」とか呼ぶようです。
そろそろここらあたりでブログを終わりたいのですが、冒頭に書いた換気扇のお話はあまりにも現実的で削除しようかと迷いました。
つまり話題が下世話と思ったのです。
最近ユーチューブなどで年金についてのインタビューなどがアップされていますが、本当は年金の話しを聞きたいわけでもなさそうで、聴者のほとんどは老人の人生談義に興味があるようです。
高齢者は孤独なのですね。
孤独な老人は無抵抗で無気力で人に影響されやすい環境にあることが多いような気がします。
ある意味社会的に弱者に対して強者は、強引な要求をしがちな傾向にあるのではないでしょうか?
とくに定年後の老人の職場での立場は弱いのが現状です。
悪いとは言いませんがそれが、それが現実なのです。
自分の身は自分で守るという趣旨で、冒頭ではあえてお金のことを書きました。
老人は現実の社会では常に、「なぜ?」を持たなくてはいけないのではないでしょうか?
とくに現在社会問題となっている「おれおれ詐欺」など。
知らない人からの電話も、頼み事も、よく分からない銀行の手続きのことも、レジの支払い方法も、お医者さんの問診も、薬の効用も、なにかも分からないことをなおざりにしていけないと思うのですね。
たとえば、もし自宅の換気扇が壊れたら、安易に電気屋さんに修理を依頼するのは工夫が足りないと思うのです。
つまり通常、生じた案件に対する対応はまずは調査です。
調査をして検案の全体の状況を把握することが最初の仕事ですね。
お金は最終的な課題です。
おそらくですが、
この長々とした、しかも楽しくもない、どうでもよいような退屈なブログを読まれるお方は少ないと思います。
書き連ねた文字数は約5000字となりました。
このブログの目的は、社会的あるいは政治的主張をしようとするものではありません。
ブログは個人的な生涯目標の一つ、長編小説の執筆の原動力となっています。
ブログの唯一の目的はつまり「書くこと」です。
どうしてもつまらないこの連続となりがちです。
夏目漱石の文学作品、「こころ」には長い手紙が出てきます。
読みたい人は熟読するし、読みたくない人は、そこは飛ばしたりします。
このブログも同様、飛ばして読んでもいいと思います。
読書は強制でも同意でもなく個人の自由ですから。
今日のブログは深夜になってしまいました。
誤字脱字がたくさんあり、大変読者の皆さまにはご迷惑おかけ、申し訳ございませんが、とりあえずアップさせてくださいませ。
明日校正いたします。
今日も最後まで閲覧していただきありがとうございました。
大衆雑文家 盆 拾
「ちいさな至福」
おはようございます。
今日は先日書いていたブログ(下記“こんにちは”の段)の続きです。
時間がバックフィーチャー(タイムスリップ)しているので、下記「小さな至福の時」を読んでいただいてから、冒頭の一句、“おはようございます”へ戻って読んでいただくと話が続きます。
そんなややこしいこと言わずに、先日の話しをいったん区切って(終わって)から今日のブログを書けばいいのにとおっしゃる方も多いかもしれませんが、先日の話しにはわりあい長い話の続きもあったりして、やむを得ずタイムスリップいたしました。
と言いつつも、その続きはこの後にいたします。
台風が過ぎ去って、今日はまるで秋晴れ。
風がすっかり涼しくなりました。
虫の声、聞こえていませんか?
などと虫が言っています。
先日まで熱帯夜で、今秋ですと言われても付いて行けません。
もうしばらく体調を整えてから鳴きますから・・、とか言っていないでしょうか?
気候にしてもなにもかも、こういうケースの場合に口癖になりますね。
「やってられないよ―」
何事も心の準備というものがあるのではないですか?・・・、という意味合いです。
このさい虫さんにお応えいたしましょう。
「お待ちいたします。よろしくお願いいたしますね・・・」
でも、今日はもう秋ですね。
古い歌で申し訳ないのですが、思わずトアエモアさんの歌を口ずさみました。
(^^♪
今はもう秋
知らん顔して
人が行き過ぎても
私は忘れない
海に約束したから
・・・)^^♪
という歌詞だそうです。
ご参考までに、以下トアエモアさんのプロフィールはネット情報によると、
白鳥英美子 1950年3月16日(75歳)
芥川澄夫 1948年1月30日(77歳)
だそうです。
私、盆拾とよく似た年代(先輩又は後輩か不詳ですが)のお方だったんですね。
この歌はいまだに好きです。
詩のテーマは秋の海。
まさに季節は今。
ほんとうは晩秋かもしれません。
むしろこの歌は晩秋の方が似合うと思いますが、とりあえずこのブログでは残暑の残る今、ということにいたします。
近くの海と言えば礒津町(四日市市)でしょう。
聞いたことございますか?
春はシジミ、夏は海水浴、秋は・・・、アサリの養殖など意外は何もしりません。
四日市塩浜水泳センターと石原産業工場の間の道から川沿いに沿いを海に向かって数分、目前に伊勢湾が広がります。
むかし伊勢湾台風で大きな被害を被った礒津町です。
すみませんネガティブな災害を表現して・・・。
現在は四日市でとても海に近い身近な町なのです。
余談ですが・・・、
以前書いた小説「戸森元」(処女作品)という小説の冒頭の舞台でもあります。
さてこれからその砂浜に立ちます。
そして先ほどのトアエモアさんの歌、
^^♪ 今はもう秋 ^^♪
をイメージします。
白浜に秋の風が吹いています。
実際日中は残暑が厳しいので、一人佇んだりはできません。
もし本当に佇むとすれば、それは早朝ですね。
きっと浜風が吹いているはずです。
そして白浜に立ちじっと海を見つめる。
すると頭の中に浮かんでくるのは・・・?
♬
だれもいない海
知らん顔して
人が行き過ぎても
私は忘れない・・・♬
こんなにうまくいくのでしょうか?
もし、誰かが恋に破れたりしていたら、けっしてそんな歌詞は浮かんできませんね。
白浜ですから、浮かんでくるとしたらこんな俳句・・・?
東海の砂浜に
我泣きぬれて
蟹とたわむる
石川啄木の俳句でした。
ちょっと古すぎました。
今はもっと斬新的な詩があるようですが、まったく分かりません。
白浜の向こうは伊勢湾が広がります。
伊勢湾に広がる太平洋の水平線を横切るタンカーの赤い喫水線(船体と海水面が交わる線。運ぶ積荷が多いと船が沈み赤い線が細く見える)が遠くに見えたりします。
白浜であれば、北原白秋の「やしの実」の歌であったりしてもいいのではないでしょうか。
こんにちは。
今日(時限的には昨日の出来事)は昼間からブログです。
小さな至福の時です。
昼近くだったので、ちょっと昼マックによってランチしました。
お客様がまだ少なくて、席はがら空きです。
受付番号をいただいて、ほとんど空席なので好きなところに座り、スマホを観ようとメールチャックのページを開こうとタッチしていたら
「お待たせしましたー」
あまりにも早かったので、思わず、
「早いですね~」
と言ってしまったのです。
返しの返事も感じよかったのです。
笑いながら、
「はーい」
興味ないと思いますが注文したメニューは以下の通りです。
サムライマック セット。
ポテト サイズL
コーラ
ハンバーグの厚みは約1センチ五ミリ。
トッピングにチーズ。
ポテトはあふれんばかりに袋一杯。
因みにハンバーグの厚みは計測した訳ではないのですが、職業的な寸法暗按分(ある大きさの基準をあらかじめ設け、目的の大きさを判断する。この場合は親指の太さを約15ミリを基準に指定する目的の厚みを推測)すると、
一枚のハンバーグの厚みは8mm、二枚で16ミリ、全体には約15mmとなる訳です。
こんな話、つまらないでしょう?
食べる前に他に考えるというか、思い出すことないのですか?
よりによって厚みが何ミリとかなんとか。
まったくつまらない人生・・・。
たとえば、どういう味なのか、あるいはどんなスパイスなのか、あるいはどんな牛だったのか?
若い牛か年寄りの牛かとか・・・。
有りません?
すみません、そういうことは食べる前には思いません。
今日気になったのは厚みの寸法です。
この寸法の後、妄想が続くのです。
このハンバーグの値段はいくらだったのか、もう一度レシートを開いて確認します。
セット全部で約千円。
確か以前は千円未満だったような記憶があるのですが、千円ぐらいならまあ、いいか、といった感じです。
これがニューヨークでマックを食べると三千円?
詳しいことは知りませんが、とにかく高いことはしっています。
いやですね、もし三千円以上になるとランチは何を食べたらよいのでしょうか?
三千円のハンバーグはランチとしてはムリのなので、お腹いっぱいになって安い食べ物、それはジャガイモかな?
ジャガイモは、極端に言えば土があればどこででも育つ野性的な野菜で、その歴史は古いのです。
この際、自宅の庭先を開墾して植えるという案さえ浮かんできます。
開墾は肉体的手間と時間がかかるので、盛り土式畑がよさそうです。
アメリカやフランスの都会にある公園などでは、この盛り土式野菜畑があります。
地面に仕切り板を三枚ほど横に重ねると高さが60~70センチほどになります。
苗床の幅を一畝であれば60CM~75cmぐらい確保して、そこへ野菜用の土を入れると畑の出来上がり。
たとえば畑の高さを70センチメートルぐらいにすると草取りや収穫する場合、ちょうど腰の高さなので作業が楽にできます。
話しがだんだん横道にそれてきますが、あえて続けます。
ドイツでは主食はじゃがいも、日本の主食の米がおいしいのと同じように、とてもおいしいのです。
一日三回食べてもおいしいかも?
とにかくとりあえず今は、食糧難はじゃがいもで乗り切ったら良いような気もしますが、
どうか将来インフレにならないようにと祈るしかありません。
ほんとうのことを言うと、今日はマックランチのことを書こうと思ったわけではありません。
最近ブログが落ち着いてかけていなかったのです。
そういえば今日面白い興味深い話を聞きました。
これが今日のブログの本題です。
我らがファン、NHKアナウンサー桑子真帆さん( 所属局:東京・アナウンス室 · 出身地(生育地):神奈川県 · 入局年度:2010年度、ネットプロフィール参照)とそのご主人、小沢さんの御夫婦のお話です。
桑子さんはテレビのニュース解説などでよく拝見いたします。
以前タモリのブラ歩きで観たときからのファンです。
そのころからよく気の付かれる女性でした。
それから愛想のよい受け答えや、相手に合わせた目線や気配りなどがとても気に入っています。
そのご主人が世界の小沢、ベルフィルコンサートマスター、常任指揮者の小沢さんの息子さんとなると、余計に親近感が増します。
もっとも親近感が増したのは、お二人の御夫婦の仲が良いと聞きいたときでした。
実は生前、世界の小沢さんが息子に言ったお話に感心しています。
聞いた話で申し訳ありませんが、凡そ次のような話だったそうです。
生前自分が世界で活躍できたのは運だ。
誰でも成功できることではない。
お前(息子さん)は音楽家になってはいけない。
音楽は飯を食べる(生計を立てる)のがむつかしい。
もし世界の小沢さんがそうおっしゃったとすれば、まさにその通りだと思いました。
よくぞ息子様におっしゃってくださいました。
つまり芸術で実をたてることは非常に困難だということです。
これはすべての芸術家に通じると思います。
とくに国宝となるとさらに生活が難しくなります。
国の宝なので名誉は最高だと思います。
しかし実際生計を立てることはなぜか難しいのが現状です。
ドイツではマイスターという職人的制度があって、社会的評価が高い、つまり具体的にお給料が高いのです。
国宝のお給料の話しではありません。
文化は国の力だからです。
文化に軍事の力はないのですが、知性と人間性を高める力があり、それが国の力となるのです。
芸術を推奨し支援する、知性と人間性を高め世界をリードする考え方を理解しなければ先進国の一員とはなれません。
国の宝であればそれなりの評価が必要です。
具体的には国宝専用の年金制度があって良いような気がいたします。
国の誇りであり社会の希望でもあると同時に心の支えである芸術を、学んだり目指したりする人々にエールを送りたいのです。
しかし芸術の世界は、現実として経済的に継続することが困難な場合が多いということを、これから学ぼうとする子供も、それを支える大人も廻りの人々も理解しなければならないと思います。
すみません。いろいろ余計なことを言いました。
もしも気を悪くなされましたらすぐに削除いたしますし、お詫びいたします。
いずれにしても、個人の唯一の人生です。個人が信じる道を突き進んでくださいませ。
今日のブログは約四千字。
原稿用紙十枚ほどになりました。
今日も最後まで閲覧していただきましてありがとうございました。
大衆雑文家 盆 拾
AIの選択
こんにちは。
ああ忙しかった。
なにが?
ですか?
パソコンです。
その前に嘘をついたこと、おわびいたします。
明日書きますと約束して数日後、今日になってしまいました。
すこしだけ言い訳させてください。
朝から夜十二時過ぎまでずっとパソコン。
そういう状態が四日ほど続きそして今日の午後、
やっと一息ついて、今ブログを書いています。
さて、
時間は数日前にタイムスリップ、バックフィーチャーします。
次の場面は数日前の出来事です。
ある喫茶店でドーナツと紅茶と氷入り水(無料)を注文して、さてどうしましょう?
自営が喫茶店なのになぜ?
という質問があるかもしれませんので、お答えしておきます。
そこは日常生活のサードスペースだからです。
まず最初にユーチューブのチャンネルはベートーベン、
Oda a alegria - del film Copying Beethoven
をかけます。
勿論店内に音が漏れてはいけないので、耳にヘッドホーンです。
あとの選曲はAIにお任せです。
次にAIが選んだチャンネルは、
Farinelli -. Lascia ch'io pianga (Haëndel)。
このままAIが選ぶところのおまかせチャンネルを書き続けていいかもしれません。
今や万能のAIですから。
AIは万能ですが、コンピューターの悲劇、不幸にも個性がありません。
ごめんなさい、
今日はこの後、AIの選曲が延々と続きます。
再び次に選んでくれたチャンネルです。
The Nutcracker – The Waltz of the Snowflakes (The Royal Ballet)
AIはとても賢いバカなのです。
親切で賢くて悲しいバカが付くのです。
こうしながら、好きなチャンネルばかりだまって選んでくれる?
好きな人に好かれようと、相手の好きそうなものばかりプレゼントしようと努力する人。
もしもいたらあなたはどうされます?
Voi che sapete - Agnes Baltsa
記憶が戻らなくて想いだせないのですが、多分バレーのチャンネルだと思います。
久しぶりにこのまま、おまかせチャンネルを聴きながらブログを書いていきますね。
そうそう、ここらでヘッドホーンのこと書いてもいいですか?
というよりも書かせくださいませ。お願いいたします。
メーカーはメイドインUSA「ボーズ」です。
最近店頭に並んでいるヘッドホーンのメーカーって、ほんとに色々あるんですよね。
もし興味がございましたらボーズヘッドホーン、一度視聴してみられませんか?
生に近いほどのすごい迫力と臨場感ですよ。
再現音楽がコンサートなら、生でしか聞こえないバイオリンのピッチカートが、あるいはジャズならドラムの「ほうきステキック」(楽器の名前が分からりません)の繊細な音が聞こえてきます。
食はヨーロッパ、音はアメリカでしょうか?(アメリカの人に怒られそう・・・? ごめんなさいね)
次々とAI場面は変わります。
Don Quixote - Act I finale (Marianela Nuñez and Carlos Acosta, The Royal Ballet)
ドンキホーテ 最終章だそうです。
バレー総出演でした。
ここでインターミッション(休憩)です。
お茶とドーナツをいただきます。
La Bayadère - Le Royaume des Ombres - 3ème partie
ディュエット、総勢、男女ソロ、男子ソロ(舞台の両袖に女子バレー団が一列に並ぶ物語の最もかっこいい場面。)
イタリアの劇場でしょうか?(いいえ、多分違います。あとで調べます)
次に、少年たちのパキータ・バレーです。
同じ劇場でプロの演技者と一緒に披露する場面は、好感度が上がります。
例えバレーの勉強中の子供であっても、大人と区別せず同じ舞台で披露する(大人と同等な扱いをする)という意味です。
急に場面が変わりましたよ。
"Anything Goes" - end of Act 1
アメリカの水兵さんのタップ・ラインダンスです。
会場は四階建ての吹き抜けのホールです。
タップダンスの歴史は古く、ダンサーの皆さんの格好がとても素敵(真似したくてもまねできません)なのです。
こうしてつまらないブログがタンタンと続きます。
そうそう、ヘッドホーンの話しでしたね。
話を元に戻しましょう。
今使用している物は二代目です。
一代目は長く使いすぎて耳の部分がすり減り、ボロボロになって耳に掛けれなくなりました。
Kitri's Entrance (Don Quixote): Nunez, Zakharova, Osipova
場面はドンキホーテ。「キトリ玄関」でしょうか?
総勢で広場の踊りが披露されています。
おそらく物語のクライマックスでしょう?
二代目ヘッドパットもすり減って、手製の保護カバーで包んで使用しています。
カバーは布なので、耳に掛けるとズレたりします。
ホーンの内側にリングに沿って細い針金を入れ、ずれないように当てがいました。
面白くないでしょう?
ヘッドホーンの針金なんて・・・?
すみません、このブログ物語の流れのついでにこういう追記がいるのですね。
申し訳ないと思いますが、このまま書き続けます。
ユーチューブの画面が勝手に次の画像を選曲しました。
Khachaturian: Sabre Dance / Rattle · Berliner Philharmoniker
スラブダンスという曲、ベルリンフィルフィル-モニーの演奏です。
実は、書いている場所と時間に時差があり、当時どんな画面だったか思い出せません。
ベルフィルなので、利用者(私)の趣味に合わせてAIが選んだのだと思います。
なのに、ブログ書きつつ観ながらて聴いている、というよりも聞き流している時の違和感はまったく有りません。
AIの画面は次々と変化していきます。
Voi che sapete - Marriage of Figaro - Mozart (Marta Fontanals-Simmons)
モーツアルト フィガロの結婚での一場面です。
ケルビーノがスザンナを思いこがれながらソロで歌う場面に変わりました。
興味があられましたら、一度検索してみてはいかがでしょうか?
おっとここでAIは次の画面を提案してきました。
賢いAIの面白い選択です。
Black Swan (Odile) - Natalia Osipova - Swan Lake
最近よく観ているバレー劇場です。
「黒白鳥」・・・。
白鳥バレーには白い白鳥と黒い白鳥があったのですね。
知らなかった・・・。
バレー音楽は、物語と音楽と踊りがテーマになっています。
台詞はなく踊りだけですが、壮大な物語を主題としているバレーなので、ヨーロッパにおいては難度の高い技の踊りを楽しむ古典芸能です。
それに加えて音楽と衣裳がとても美しいのが特徴です。
AIは個人がそいう趣味を愛好するのをよく理解しているのですね。
そうこうしながら、午後から書き始め数時間弱、ブログを書いていたらアッという間に時間が過ぎていました。
字数が約1800字、原稿用紙四枚半となりました。
そろそろこの退屈なブログもここらへんで終わります。
最後まで閲覧していただきありがとうございました。
大衆雑文家 盆 拾