日記
バレー「パキータ」
つぶやきのブログ、ほぼ何を書くのか分からない、迷路の世界の中のつぶやき、最近ユーチューブが充実しているように見えるは気のせいなのか、どこまで現実で、あるいは虚構なのかよくわかりません。
大阪関西万博の案内書の中にQRコードがはいっていました。
スマホのカメラをかざすと画面にアドレスが表示され、それをタッチすると案内画面が出てくる。あとは見たいところを画面上でタップしていけばいいのですね。
その送られてきた紙に描いてあったQRコードの写真を撮って、その後必要な時に再生し、画面に隅に表示されてあるレンズマークをタッチするとQRコードのアドレスが表示される。そのあとは同様に必要な場所で随時検索できる、というようなことが分かりました。
画像の一部を検索すると何かが分かるこのレンズ機能(画面の隅に出てくる目玉模様の形をしたレンズマーク)は、ある時は辞書、ある時は固有名詞、あるいは意味など、その検索力には驚嘆しています。
古語など難解漢字の読み方や意味を、総字画や部首画数によって漢和辞典を引くという従来の手順が省けるようになりました。
それらスマホの便利な機能に戸惑うばかりです。
今日の終わりに、ユーチューブつながりで一言・・・。
ミンクス:「パキータ(Paquita)」というバレエがあることを知りました。
ウェブ情報によると、ミンクスは作曲者名で、ルードヴィッヒ・ミンクス(Ludwig Minkus 1826~1917)となっていました。
パキータは19世紀初頭のスペイン北部の町、サラゴサで展開された物語で、パキータはロマの一群にいた美しい娘の名前だそうです。
最近よく観るユーチューブのお気に入りの一つに、パキータのバレーが入っています。
パキータの美しいバレエに見とれるばかり。
過去には想像もし得なかったユーチューブの映像のプレゼントに(まず見る機会がなかった映像という思いを込めて)感謝三乗(感謝が三つ続くという意味合い)です。
今日も画像もなく退屈なブログになってしまい申し訳ございません。
最後まで閲覧していただき、ありがとうございました。
「ドン・キホーテ」と「ベハル侯爵に捧げる献辞」
空はどんより、雨はしとしと、身体はじっとり、梅雨のようで梅雨でないような小雨が降り続いていました。
春は木の芽時に悩み、梅雨に気が塞(ふさ)ぎ、夏の異常な暑さで家に籠(こも)る?
悩み、塞がり、籠る心に晴れ間がのぞくのはいつでしょうか?
先日あるバス旅行会社から万博の案内書が送られ、メッセージが同封されていました。
ご安心ください(スマホなどなくてもという意味ですが)、何もしなくても、
「会場には入場できます」
とのことです。
親切なお心使いを感じました。ただしパビリオン(展示館)に入るのは各自スマホで事前に予約してくださいということでもあります。ところが会場はスマホ利用の申し込みが多すぎて予約を取るのは難しいそうです。
とにかく行って団体バスに乗って入場し、どこか開いているパビリオンに入り、高いかもしれませんが何か珍しいものを食べて、疲れたら有料休憩場所で無料のお水を飲みながら休憩を取り、情報時代のあけぼのにふさわしい令和のお祭りを体感するのを楽しみにしています。
ところで・・・、
時間がかかりすぎました。やっと「アンナ・カレーニナ」を読み終えました。文庫本の三部作からなり、何度も通読を繰り返した要因は、アンナさんという女性に興味があったからでしょう。結果どうだったか? 書評は避けますがとても自分に正直な女性だったようです。
もしかしたらそういう女性にお会いすることもあるかもしれないという非現実的な期待と楽しみが湧いてきたことも事実です。
この度、縁あってミゲル・デ・セルバンデス・サアベドラ(1547~1616)著、「ドン・キホーテ」(スペイン・マドリード南部・ラ・マンチャ地方を舞台に展開された物語)を読む機会に恵まれ、読破できるか否かの期待も希望も持てないまま、まさかこの自身の人生において五百年ほど前に書かれ当時の読者を魅了したであろう本を入手し、まさにその読書の機会と時間を与えし原作者に感謝したいと思います。
文学の魅力は、往々にして冒頭の一文にあると思うのです。
以下、当書籍の見開きに書かれた読者への挨拶分、「ベハル侯爵に捧げる献辞」の冒頭の原文の一節です。
『文芸を、とりわけその高貴さゆえに、俗衆の評価や利益に迎合することを潔(いさぎよ)しとしない文芸をつねに庇護したまう大貴族として、閣下があらゆる種類の書物にお与えになる厚遇と栄誉を信じつつ、わたくしはここに、(機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ)を、閣下の赫々(かくかく)たる名声のもとに上梓(じょうし)しようと決心いたしました。・・・』
文芸はすなわち文化、文化は人間力、人間力は国力に繋がります。
文芸を支持し未来の遺産として残したいという筆者の思いの表れかもしれません。