日記
バレエ 〖ballet〗
ーー 以下のブログは未完成につきまだ読めません。ーー
(今晩やっと書き終えました)
こんばんは。
以下、ネット情報によると・・・、
バレエballetの発音は【bˈæleɪ】だそうです。
参考までにへボン記号(ヘボン式ローマ字、19世紀に宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンが考案したローマ字表記法、日本語表記をラテン字表記に転写だそうです)の【æ】は、アとオの間の発音で、口角を横へ伸ばしながら発音する、つまり驚いて「エッ」といった時の唇の形をしますが、バレーとは言わないみたいですね。
(この後の続きはまた後でかきますね・・・。 )
バレエの知識が全くなくてコメントのしようがないが残念です。
ーー続くーー
ヘボン記号にはいきさつがあります。書き始めのころ「バレエ」のことを「バレー」と書いていました。バレーボールのバレーと勘違いしていたからです。なんて初歩的な無知にあふれた恥辱の間違いでしょうか? 赤面しそうです。
舞踊には国の個性があります。日本古来の舞踊を習ったことはありませんが、以前京都の先斗町にある鴨川踊りを見に行ったことはあります。大勢の舞妓さんの華やかな踊りでした。舞台の袖から奏でる三味線や太鼓などの生演奏も迫力がありました。
テレビで観た話ですが、舞子踊りのをお師匠さんのお話によると、踊りの基礎は腰だそうです。腰が安定していると多分踊りがきれいに見えるのではないしょうか?
バレエの踊りに惹かれるいくつかの理由があります。
その一つ、まず衣裳が華やかで美しいこと。
二つ目は、踊りの技術が華麗かつ軽快で、豊富なうえに高度であること。
第三は最も優れているところは、音楽とメロディーが適度に美しく、華麗と哀愁にあふれる曲が多いこと。
最後に慈愛に満ちていると感じる点は、共通して攻撃的で威圧的なところが少ないのもいいと思います。
最近ユーチューブのおかげでバレエがずいぶん身近になり、個人的に演劇の幅が広がりありがたく感じています。
芸能つながりではありますが、近いうちに大阪の浄瑠璃鑑賞を計画しています。古典芸能なので地味ですが、人形がいろいろな役を演じます。三人の人形使いによって人形がより人間的に役を演ずるのですが、人形でありながら人間以上に喜怒哀楽を演ずるのが浄瑠璃の魅力です。
取り留めもなく話しが広がりますが、マリオネット(あやつり人形)についても書いておきます。
マリオネットは一人の人が糸で人形を操ります。
外国では繁華街で路上人形劇をよく見かけることがありますが、たぶん一人で路上活動がしやすいこともあるのだと思います。
マリオネットには楽しい他に、実は見どころがあります。
その人形の顔がなぜか演じる人、ここではつり人形師にそっくりなのです。ある外国の繁華街で人形師と人形をまじまじと見つめていた記憶がよみがえりました。
つまらないことばかり書いて申し訳ございませんでした。
なんとか書き終えました。
最後まで閲覧していただきありがとうございました。
雑文家 盆拾(ボンジュー)
哲学の道
菰野哲学の道
「哲学の道」って聞いたことあられますか?
そうです。京都の哲学の道です。ネット情報によると銀閣寺と若王子神社の間、白川疎水沿いにある約二キロメートルの散歩道だそうです。民家や神社仏閣が併存し、しかも出店もあったりして、今や世界的に人気の散歩道です。昼間の雑踏は別として、早朝散歩などはさぞかしいい気持ちかもしれません。
その昔、京都がまだ古都だったりしていたころ、この哲学の道端で初老のカップル(もしかしてもっとお若いカップルだったりししたかもしれません・・・?)が自作の絵や手作りの工芸品を並べ、すでに陽が落ちて人通りの少なくなった道端で、特に話すこともなかったのか静かに座ってお売りになってみえた光景がいまだに思い出されます。
あのお二人はご夫婦にはみませんでしたが、一体どんな関係だったのでしょう? やがて陽が落ちてくるのがとても気になっていた記憶が残っています。もしかして哲学の友だったのかもしれませんね―――。
ところで菰野散歩道も、京都の哲学の道に劣りません。
ひいき目かもしれませんが、自然な環境と眺望から鑑みてむしろ優れていると思います。
京都は白川疎水は疎水ですが、三滝川は二級河川で上流に清水が流れています。(季節によっては時々枯れますが・・・。)残念ながら屋台はなく、川幅は大きく、鬱そうと生える笹とススキが茂り、道端には季節の花が咲き誇り、野鳥が散歩する人を美しい声で迎えてくれます。
菰野散歩道の三滝川にはウグイもいます。
野鳥カワセミが、青く光る美しい羽根を広げながら餌を求めて飛び交います。
散歩道の道幅は狭く、下校時に自転車に乗って帰る子供たちと顔を合わせると、突然元気な声で「こんにちはー!」と挨拶され、あわてて「こんにちは」と返さなければいけません。散歩する時には油断せず挨拶をすぐに返す心構えが必要です。うまく掛け合えたらとてもうれしい気持ちになったりもします。
哲学の道は京都だけにあるのではありません。
ドイツ最古の大学の町ハイデルベルグにはネッカー川沿いの山腹に哲学の道があります。ネッカー川の川沿いは狭い小道が設けてあり歩くこともできますが、未整備なので散歩には向いていません。
今は食材としての需要がなくなったのか、フランツ・シューベルト(1797‐11828)の歌にもある「鱒」(1817年作曲)が泳いでいました。
さて、ここで真夏の真昼でも歩ける菰野散歩道を案内いたしましょう。
第一の森のトンネルを抜けて、
村上春樹さんの作品「ノルウェーの森」の舞台のような野性的存在の菰野庁舎を眺めつつ、
桑の木の下の影を抜けて、
村外れのお地蔵さんのような石標と、錆びたて赤くなり字が見えくなった「とまれ」の字を右手に見ながら、
第二の森のトンネルをくぐり、
6
南風の通りぬける石段にある狐の風穴にたたずみ、再度じっと雄大な存在の菰野庁舎を眺め、 再び森のトンネルを抜けて帰路に立ちます。
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木の葉の影を映し、風が通りぬける小道で、 少し、少しだけこの木陰で休ませていただきたいのです。
今日の散歩道でした。
最後まで閲覧していただきありがとうございました。
雑文家 盆 拾(ぼんじゅう)
バラアーチ
こんばんは。
バラアーチができました。
こういうアーチ類がホームセンターに売っているのはご存じですか?
既製品のアーチは鉄製やアルミ製があります。売っている品はたいがい可愛いのが多く、バラの形によく似合うように、またバラがより綺麗に(美しく)見えるように作ってあるのです。
ところが・・・、
今回できたバラアーチはさ迷うモッコーバラ、バラの一刺し、ベルバラではなくて棘バラのために用意した手作りバラアーチ。どうしても見た目が良くないのです。強くて丈夫ですが形は悪いのです。
あとは伸びた蔓(つる)をアーチに這わす。それでバラ整え作業は終わりです。(ホッ・・・!)
筆を投げる? いえ、投げません、たぶん筆は一生放さないでしょう。書いて書いて執りつかれ祟(たた)られたように書き続けるのです。なぜ筆を放さないのでしょう? 筆の魅力です。赤ん坊のゴムの吸い口、「くちゅくちゅ」と同じでしょうか? お腹が空いてないのにくちゅくちゅを欲しがる。気が休まるのかもしれません。
以下モザの農園です。食料調達には程遠い出来ですが、みんな可愛い作物です。
グラジオラス。
日当たりの良さそうなところに植え替えたら花の蕾が増えました。花の園を期待しています。
バジル。おいしそうに見えませんか?長い間バジルの野原を夢見ていました。バジルの楽園。しばらくこのままにしておきましょうーーー。それから・・・、
バジルソースのパスタを楽しむのです💕💕💕。(おーコワ―――)
なす・・・。いまいちの出来栄えですな。(ス・ナス・ナスナ。ですねの書き間違いでした。)ところが、薄めに刻み、軽く塩もみしてシソの葉を刻んで軽く混ぜて少々の醤油を(かけすぎないように)かけると「茄子の宝珠」です。
トマト。ここだけの話しですが見た目はいまいちですね。市場などには出せませんが、味は最高ですよ! 冷えていなくても取り立てはグルタミンの味がいっぱいに広がります。(つまりトマトらしい野生の味がいっぱいです。)
ゴーヤです。まだ収穫できていません。八百屋さんのお店には立派なゴーヤが並んでいました。思わず手に取りたくなるゴーヤを見過ごしていました。夏のゴーヤは栄養価が豊富で野菜の期待値が特に高いのですね。
キュウリの苗の根もとにズッキーニの花が咲きました。当初この花の存在が府に落ちませんでした。グーグルによると「ズッキーニだ」といわれ、確かに苗を選ぶときに接ぎ木と表示してあったことを思い出し納得したのです。
実はなりません。
この花を天ぷらにしたら美味しそうーーー!
キューリの赤ちゃん。
ペースが遅くて食卓のおかずに間に合わないのが不満です。
以前は花壇。今野菜畑。狭い畑でも野菜の実りが楽しめます。花よりだんごとはこういうことをゆうのでしょうか?
梅雨は女性の髪の毛の敵ですが、花や野菜にはよき友ですね。
今日も最後まで閲覧していただきありがとうございました。
明日は多分・・・、
バレエの吉田みやこさん(先生)の話題を少し・・・、たぶん予定しています。
明日は
雑文家 盆拾
ISS通過
こんばんは。
観られましたか? 午後八時過ぎ頃の夜空ーーー。
日中の猛暑を避け、夕方から夜間の作業に取り掛かり、バラアーチ下地の加工を終えたのは午後八時過ぎでした。
道具を片付けながら空を見上げると、金色の一筋が動いていました。
結構早い。もちろん音はしません。あっという間に雲の中に消えてしまいました。
家に帰り、早速スマホでしらべました。
「国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」が、今日7月7日(月)の21時13分から日本付近を通過します」
だそうです。
移動した速さに感嘆し、ISS速度と高度(観たおよその移動距離と高度から関数にて概算)を調べようと思いましたがとりあえず今度にしました。
細かいとろは分かりませんが、運よく人が乗っている人工衛星(国際宇宙ステーションISS)を観たというニュースです。
ちょっと得した気がしました。
雑文家 盆 拾(ボンジュー)
ペンネーム「盆拾」
こんばんは。
今日も猛暑でした。
暑すぎて何も書くことはありません。
外が危険なぐらい暑いかったので、散歩も出来ませんでした。
玄関の花壇にバラとモッコウバラが咲いているのですが、この時期になると若葉と新芽が出てきます。バラの新芽にはか弱くて研ぎ澄まされた鋭い棘があり、触れただけで赤い血が噴き出す危険な花です。モッコウバラは線香花火のように四方八方新芽伸び放題。悪魔の棘バラと路頭に迷うモッコウバラ。
なすすべもなく、毎年梅雨の晴れ間に切り捨てていた新芽たちに助け船を出すことにしました。
花壇に小枝の絡みやすいアーチバラを作ります。
生まれたての赤ちゃんの湯舟の中に置いたタオルのような役目を担ったバラアーチです。
明日は「湯舟のタオル」、バラアーチをアップできると思います。
雑文家 盆拾(ぼんじゅう)
追記
「盆拾」はこの日記で使う新しいペンネームです。
フランス語はまったく知りませんが、ボンジュールぐらいは知っています。「こんにちは」といった挨拶をペンネームにしました。
「キザな」とか、「気持ち悪い」とかささやかれそうですが、フランス好きなのでどうかお許しください。
もし、では「なにが?」とか聞かれればパリの詩人「ボードレーヌ」が、また「どこが?」聞かれたらパリの下町「モンマルトル」と応えると思います。
パリにはもっといいところいっぱいありますとかクレームがつきそうですが、じつはそこしか知らないのです。
今日からこの日記でのペンネームは「盆拾」です。
今後ともよろしくお願いたします。
フランスの「オモシロ旅話」、機会があればいつかしたいですね・・・。
追記その二
筆者を通称「雑文家」としました。随筆家、つまりエッセイシストと位置付けしたいところですが、これもしっくりいきません。随筆であればそれなりの内容や主張があっていいような気がしますが、日記にはそういう欠片(かけら)も存在しません。たんに日常を書き綴るのです。平凡な日常に昨日とは異なる何かがあるような気がしています。それが日記なのですが、主張も内容も何もありません。ホームページのクリックを継続し、ホームページが情報の奈落の底に沈みこんでいかないよう毎日あがく、ささやかな努力を続けています。
「そこに随筆家はいるのか?」
居ないと思います。
今から百五十年前、ロシアの文豪トルストイが書いた「アンナ・カレーニナ」に登場していた、ありとあらゆる雑談を書く人物。実はそれが「雑文家」だったのです。
令和の今、日記を書く人物こそ「雑文家」ではないでしょうか?