日記
ペンネーム「盆 拾」
こんばんは。
およそ三日間続いたドン・キホーテの序文も終え、
今日からはブログも一新し、
次の話題を考えなければいけません。
「NHKプラス」情報ですが、
映像によると、
鉄腕アトムの作者、
手塚治さんも若くして
他界されていたようです。
漫画を描くことが好きで、
書いている時が一番楽しい
とおっしゃってみえました。
アイデアは色々浮かんできているが、
書くのが追いつかない
とも言ってみえました。
出来ればあと数十年は
書きたいと言いつつも、
実際には数年で他界されたのは、
ただただ残念としか
言いようがありません。
つまり、
人生健康と体力が
必須条件とも感じました。
世の現役社会の真っただ中で
奮闘してみえる社会人の方々に、
エールを送りたいのですが、
身体と、健康あっての人生、
例え大きな希望や目標があったとしても、
心身の土台の上に人生があることを
認識しなければなりません。
ところで・・・、
本日、新米を付きに近くの精米機へ。
一袋30kg、
重たいので半分に小分けして15kg、
袋に詰める時にこぼさないよう
移し替えました。
それでも15kgが重たい?
若いときは30kgはかるく、
ちょちょいのチョイでしたが、
情けない、
15kgでも重いとは・・・。
自分を叱咤したくもなります。
おそらくですが・・・、
火事場の底時ぐらいは
残ってはいると思いますが・・・。
そんなことはどうでもよくて、
健康診断は少なくとも、
しっかり結果を自分なりに分析することを
お勧めいたします。
最近、
町のお医者さまはお忙しいようで、
診断結果を
詳しく説明する時間がなさそうです。
「だいじょうぶ」
ぐらいは言ってもらえますが、
どこが良くてどこが悪く、
どれが危ないとかいうような
血液結果の数値は、
あくまで自分で
理解しておかなくてはいけません。
とか言いつつも、
我が青春時代は
それなりに無頓着だったかもしれません。
若き頃の肉体や
体内内臓たちは耐えてきましたが、
肉体が脆弱になるにつれ、
若き時代に堪えてきた肉体や内臓は、
健康志向に目覚めた老後を迎えたとしても、
もとには戻らないとのこと。
確かに、
身体は一新されないし、
改善もされないと指導されました。
確かに、納得です。
既に傷ついた古傷は、
それ以上悪くならないように
キープするのだそうです。
今更手遅れですが・・・、
身体は、
トカゲのしっぽの様に
再生されないを知っておくべきでした。
暗い話はこれくらいにして、
なにか他に楽しいことは
ないものでしょうか・・・?
冒頭に書いた手塚治さんの
話しの続きですが・・・、
漫画の仕事は楽しそうでした。
いま現在、
こうして
面白いとは程遠いブログを
書いていますが、
内容はともかくとして・・・、
書いていることが面白い。
不思議かもしれませんが、
ブログはそういう存在です。
現在、ブログと並行しながら
長編小説を執筆中です。
出版などの願望もありませんが、
完成の希望が消えることはなさそうです。
つまり・・・、
書くことが楽しいから。
と言いつつも、
できれば面白い小説であって欲しいと願うのは、
出版の有無は論外として、
物書き家として当然の願望です。
小説家たちは
往々にして書くことが好きですが、
途中で書けなくなる時がある。
そういう時には、
物語の文中で言葉遊びを始めたりします。
誰々への手紙、つまり書簡だったりとか、
古典文学では連歌など。
和歌の知識はないので、
具体例が挙げられないのが残念ですが、
時には
物語や時代背景から飛び出して、
作者の心情について執筆されることも
あるような気がします。
いずれにせよ、
小説なので、
誹謗中傷などはあってはいけませんが、
物語の進め方に限っては、
何があっても良いのではないでしょうか?
ただ、
せっかく書いた小説があれば、
本にしたいと思うのはあたりまえ。
おかしいとは思いませんが、
キホーテさんは
つまらない本を出すのはやめた方が良い
とも言って見えた?
なにがつまらなくて、何が面白いのか?
この世の中に出して、
皆さんに読んでもらわなくては
分からない?
違うのです。
分からないのではなく、
つまらない本は、
誰も読んでくれません。
こうして盆拾は、
出版についてある考えにたどり着きました。
もし、長編小説が完成したら・・・、
出版会社に依頼するのではなく、
自費制作をし、
自宅出版する。
そして、
家族や親戚をはじめ、
親しい友人や読書の好きな人々にかぎり
謹呈(無料で贈呈すること)する。
と言っても、
自宅では印刷能力に欠けるので、
おのずと部数的に限られた人々しか
手にすることができません。
それでも良いのです。
みんなが楽しければ・・・。
小説、つまり物語りは
楽しくなければただの紙の塊・・・。
今日、昼間三時間ほど執筆できました。
相変わらず、
遅々として筆は進みませんが、
楽しみです。
今日も最後まで閲覧していただき、
ありがとうございました。
大衆雑文家 盆 拾
追記
ペンネーム「盆 拾」の意味ですか?
フランス語の「こんにちは」を使っています。
フランス語も知らないのに、生意気でしょう?
きっかけは、
パリの鵜鬱(新朝社文庫)
1952・03・19
ボードレール・三好達治訳
の読書でした。
因みに、ネット検索によると、
シャルル=ピエール・ボードレール
(フランス語:
Charles-Pierre Baudelaire
フランスの詩人。
フランス近代詩、
象徴主義の創始者。
となっていました。
その詩人の翻訳したのが
三好達治だったというのが大きな要因です。
三好達治の詩は中学時代、
国語の授業で学び、
それ以来の趣縁であり心縁となっています。
盆 拾
今後ともよろしくお願いいたします。