日記
「なぜ?」
「なぜ?」
こんばんは。
朝夕すっかり涼しくなりました。
今日はブログの日です。
先日は執筆(小説)の日でした。
その小説の執筆が思ったより進まないのです。
しかし少しある場面から抜けでた感じもあります。
或るゾーンから抜け出ると次の展開に進むことができます。
先は長いので焦らずに続けて行こうと思っています。
さて・・・、
一昨日と昨日は大変な日でした。
普段何もない日が多いのですが、なにかあるといちいち対応が大変なのです。
その大変さをここに具体的に書き留めておきます。
突然予告もなしに換気扇が壊れました。
当たり前と言えばそうなんですが、アクシデントはいつも突然です。
事故ではありません。
機械が壊れたので修理ですね。
普通修理は買換えとなる場合が多い。
最近、家電屋さんに修理を依頼しても、
なかなか取り合ってもらえないことが多く、型式が古くて部品の在庫がないという理由などにより最終的には新品の購入を進めあられるのです。
つまり修理よりも買い換えた方が早いという結論になるのですね。
そういう業界の流れに同意しない工夫を提案したいのです。
とりあえず換気扇の蓋を開け、電源を切り機械の状況を確認。
換気ファンの羽根の廻りにすごい埃が固まっていた。
換気扇が止まったのはその埃の塊のせいだと把握。
換気ファンの種類には三種類あり、今回はシロッコファン。
シロッコファンの形状はちくわ型。
つまり大きな穴の開いたちくわの皮に簀子(すのこ)のような縦長穴を空けクルクル廻して風を送るタイプだった。
イメージ出来ますでしょうか?
多分分からないと思いますが先へ進めます。
その送風器の簀子の穴に埃が詰まっていた。
その埃が少しだったら換気扇の機能は働くが、今回はその埃が多くて壊れたという訳ですね。
ここでその埃を取り除なければならない。
簡単そうですが、そうはいきません。
敵はなかなか手ごわい。
送風機の内部は精密機械の組み合わせ。
細かい部品が重なっています。
つまりそれなりの掃除用の道具が要ります。
そういう道具というのは普通売っていません。
一般的には職人さんたちが自分ように集めるなり作るなりして修理ができるようにしていることが多いのです。
まずファンの先に入る細い掃除用の刷毛が要ります。
次に埃を吸い込む掃除機の先が太くては精密部品に届きません。
掃除機につなげるよう細い吸い口を加工します。
シロッコファンに着いた埃の塊を細い筆で蹴れんし、欠き落します。
シロッコファンの簀子は直径二十センチの円状に約五ミリ間隔にあり、裏表の埃を落として最後に全体の掃除をして蓋をする。
再度スイッチを入れ回転音を確認して終わります。
一般的にシロッコファンの場合、回転音はとても静かです。
再スイッチを入れファンが静かに回れば修理は成功です。
良かった。
うまく行ったようです。
たとえば業務用のガスコンロや冷蔵庫などの修理は約十年単位で必要となります。
それらの修理の内容はいたって単純なことが多く、たとえばコンロであれば火が付きにくい、あるいは冷蔵庫は冷えにくいなどです。
原因はおよそ部品の埃です。
コンロはスイッチの掃除、冷蔵庫はドレン(排水口)の掃除などです。
それなりの道具もいるのですが、それぞれ各部品の掃除が行き届けば、電化製品や機器は復帰します。
つまりちょっとした部品の掃除ができるとそれなりに長持ちします。
半導体などのコンピューター仕様は修理不可能ですが、アナログ機器のメンテナンスであればとりあえず、
諦めない、
原因を探る、
道具を工夫する、
などを試みる必要があると思います。
興ざめしますが・・・、
ここで修理における一般的な費用を参考までにアップしておきます。
冷蔵庫やガスコンロの修理代は基本的な料金があり、簡単な修理であっても出張料など発生し、部品取替え日を含め、最終的に約五万円から七万円は必要です。
壊れて修理する換気扇が二台だとすると修理代は凡そ14萬円。
怖いですね。
もはや修理せずにそのまま放置するか、新しく買い替えるか?
とにかく余分なお金が必要になると困るのですね。
呼吸をしているだけでお金がいるようで、どうしたらいいのでしょう?
こんないやなブログ見たくないですよね。
しかし、大衆雑文家、盆 拾は書き続けなければなりません。
書くことを止めると盆拾の存在がなくなるからです。
存在がなくなるということは、消えるということです。
この画面から消えるだけではなく、この三次元の世界から概念としていなくなる。
存在と概念がなくなると、寂しくなります。
他でもない、この盆拾が自身がです。
とにかくこのまま続けることにいたします。
そうなんです。
この世の中はなんと言ってもお金、お金です。
確か古い小説にもありました。
尾崎紅葉(1868〜1903)。「金色夜叉(こんじきやしゃ)」
貫一お宮の二人がお金に振り回される物語りです。
現在高齢者は人口が増えて、年金に振り回されています。
修理などは人に頼めません。
自分で何とかしなければならなくなりました。
修理の映像がなくて参考にならないと思いますが、文字から修理の様子を想像しイメージしていただきたいわけです。
最後になりますが・・・、
映画サウンドオブミュージック40周年記念プライム放映のお話しです。
マリア・フォン・トラップさんとジュリー・アンドリュースさんの家族の物語です。
お気に入り場面は、子供たちがお父さんいエーデルワイスの花をプレゼントを渡す場面です。
高原に咲くスミレの花のような小さな白い花、それを観て父親のトラップさんがエーデルワイスを歌いだす場面。
奥様が他界された後、長い間歌わなかった歌でした。
厳しいお父さんの廻りに子供たちが集まって聞いていました。
今は一人で子供を育てる厳しいお父さん、昔お母さんが健在だったころの優しく楽しかったお父さんのエーデルワイスはとてもいい感じでした。
そして物語の最後、オーストリアにドイツが侵略してきて、トラップ大佐はドイツ侵攻の命を受け出兵しなければなりません。
時はザルツブルグ音楽祭開幕の時、トラップファミリーは大会の鳥を飾ります。
その時歌ったコーラスは、侵略国ドイツの禁止する曲、エーデルワイスです。
その曲は反戦の曲、反ドイツの曲だったのです。
そしてトラップ一合唱団は優勝し、一家は受賞式の間に会場を抜けて外国に逃亡するのです。
映画はここで終わりです。
しかし、ブログの物語はまだ続きます。
興ざめするかもしれませんが、実は40年前に観たこのエーデルワイスの曲は、この後、盆拾氏の人生につながってくるのでした。
古い記憶で曖昧なのですが、念のためにドイツのグーグルマップを開いてみました。
ドイツ西の町ケルンか、あるいはドイツの真北の橋、ハンブルグのどちらかだったかと思いますが、町の繁華街でオルゴールの演奏をするおじさんと出会ったことのことです。
勿論チップを出して、おじさんの奏でる音楽を聴くという路上パフォーマンスですが、そのオルゴールの名前は「オルガニート」とかいうのだそうです。
紙の楽譜を入れて音楽を奏でます。
一般的にオルガニートは小さい箱が多いようですが、そのおじさんの轢いていた楽器は屋台の様に大きな楽器で、しかも大きな丸いハンドルが付いていました。
そのオルガニートの音の懐かしいこと。
文字で表現できないのがまったく残念です。
しいて言えばオルガンとアコーデオンとハーモニカを合わせた音響なのです。
おじさんは大きなハンドルをゆっくりメロディーに合わせて廻していました。
思わず、
「ぼくにも回させてくれませんか?」
って、ふつう、見知らぬ外国の地でどこの何人かも分からない通行人はそういうことは言いません。
優しい人だったのですね。
ハンドルを回させてもらいました。
するとメロディーがでました。
意外にもハンドルは重い。
車のハンドルの様にスムーズに回らない。小さなゴトゴトという振動と共に回る。
そのため同じ速度で回しにくい。
回転が乱れるとメロディーもみだれます。
思わずお礼を言ってやめました。
ここまでは無事に終わった感じです。
ところがそのあとが良くなかった。
「ありがとう、ではリクエストしてもいいですか?」
当然ストリート演奏家なのでOKのはずです。
「いいよ」
と快よく返事してくれたおじさん。
歩行天国通りのおじさんの廻りにはおじさんの音楽演奏パフォーマンスを聴こうと、多くの人が集まっていました。
嬉しくなってリクエストした曲が、
「エーデルワイス」
一瞬おじさんは沈黙しました。
聞こえなかったのかと思いもう一度、にこにこしながら、
「エーデルワイス」
おじさんは沈黙したまま。
リクエストしたのはどこの誰か分からないドイツ国民採っては言葉の通じない外国人・・・。
怪訝な顔していると、周りに集まっていた一人の若い青年が苦笑いしながら声をかけました。
多分こう言ったと思います。
「エーデルワイスはドイツに対するオーストリアの反戦歌だよ」
リクエストは受けられる訳ないですよね。
戦時中は反戦歌ですから。
戦争の苦い思い出もあるし。
悪いことをしました。
もちろんそれはそこでお開きとなりました。
こういう気まずいことって他にもあるのですね。
リクエスト曲の意味合いが国によって異なるということが・・・。
楽しくても注意しなければいけません。
参考までにある音楽をあげておきます。
ある外国での音楽ライブでの出来事です。
ジョンレノンの曲「イマジン」はとても美しい曲ですが、ある意味反戦歌としてとらえることもできなくはないと感じることがありました。
とにかく美しく楽しいだけが音楽ではないという特性を理解しておくべきでしょうか?
ところで・・・、
オルガニートって何でしょうか?
カード式手回しオルゴールの一機種です。 穴のあいた紙でできた帯状のカードを差しこみ、ハンドルを手で回すとカードが進み音楽が奏でられます。
「オルガニート」という名前の他に、「オルガニータ」「メロニカ」とか呼ぶようです。
そろそろここらあたりでブログを終わりたいのですが、冒頭に書いた換気扇のお話はあまりにも現実的で削除しようかと迷いました。
つまり話題が下世話と思ったのです。
最近ユーチューブなどで年金についてのインタビューなどがアップされていますが、本当は年金の話しを聞きたいわけでもなさそうで、聴者のほとんどは老人の人生談義に興味があるようです。
高齢者は孤独なのですね。
孤独な老人は無抵抗で無気力で人に影響されやすい環境にあることが多いような気がします。
ある意味社会的に弱者に対して強者は、強引な要求をしがちな傾向にあるのではないでしょうか?
とくに定年後の老人の職場での立場は弱いのが現状です。
悪いとは言いませんがそれが、それが現実なのです。
自分の身は自分で守るという趣旨で、冒頭ではあえてお金のことを書きました。
老人は現実の社会では常に、「なぜ?」を持たなくてはいけないのではないでしょうか?
とくに現在社会問題となっている「おれおれ詐欺」など。
知らない人からの電話も、頼み事も、よく分からない銀行の手続きのことも、レジの支払い方法も、お医者さんの問診も、薬の効用も、なにかも分からないことをなおざりにしていけないと思うのですね。
たとえば、もし自宅の換気扇が壊れたら、安易に電気屋さんに修理を依頼するのは工夫が足りないと思うのです。
つまり通常、生じた案件に対する対応はまずは調査です。
調査をして検案の全体の状況を把握することが最初の仕事ですね。
お金は最終的な課題です。
おそらくですが、
この長々とした、しかも楽しくもない、どうでもよいような退屈なブログを読まれるお方は少ないと思います。
書き連ねた文字数は約5000字となりました。
このブログの目的は、社会的あるいは政治的主張をしようとするものではありません。
ブログは個人的な生涯目標の一つ、長編小説の執筆の原動力となっています。
ブログの唯一の目的はつまり「書くこと」です。
どうしてもつまらないこの連続となりがちです。
夏目漱石の文学作品、「こころ」には長い手紙が出てきます。
読みたい人は熟読するし、読みたくない人は、そこは飛ばしたりします。
このブログも同様、飛ばして読んでもいいと思います。
読書は強制でも同意でもなく個人の自由ですから。
今日のブログは深夜になってしまいました。
誤字脱字がたくさんあり、大変読者の皆さまにはご迷惑おかけ、申し訳ございませんが、とりあえずアップさせてくださいませ。
明日校正いたします。
今日も最後まで閲覧していただきありがとうございました。
大衆雑文家 盆 拾