日記
エッセイ【AIと人】220111(火)小雨
エッセイ【AIと人】
NHKの報道番組の情報によると、
長崎県立病院では患者さんのカルテのデーターを、ある種の制約はあるものの、地域の開業医も共有できるようになったという。
もっともな制度と評価できるが、むしろ遅いと感じる。
大病院が所有するAIによる情報も共有出来るとなると、開業医の先生も検査結果を有効利用できることになる。
AI診断は、本土の開業医や離島の診療所の医師にとっても、大きな力となっている。
AIの進歩は、他にもある。
更にニュースによると、昨今AIは、不特定多数の人の顔認識に加え、追尾機能も有するという。
言い換えれば、AIは無限大に近い情報の収集とその解析が可能である。
無限大情報の収集と解析。
その力の利用は、将来楽しみでもあるが、プライベート確保においては、むしろ不安の方が大きい。
将棋の王将戦が始まった。
藤井先生と渡辺先生の対局である。
藤井先生は、早くからAIによる将棋の研究に取り組んでみえると聞いている。
将棋のことは全く理解できないが、藤井先生の一手はAIも混迷するようだ。
ましてや、勝負を解説する先生も次の一手が読めず困ってしまう場面には、視聴者が何も分からなくても気分が高揚する。
例えが悪いが、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いの場面に似ているようだ。
AIと人の戦いに、新たな未来の興奮を覚える。
大リーグの大谷翔平さんの活躍も楽しかった。
この戦いはAIではなく、人と人とのゲーム。やはりゲームと言えどもその醍醐味は大きい。
当然データー解析や投球方法やバッティング技術などにも、AIは利用されているようだ。
なんといっても翔平さんは、笑顔が最高である。
かつ礼儀をわきまえ、投打を極める現代のスーパーマンのような気がする。
未来に願うことが二つある。出来ることなら、
AIは平和利用であること、かつ人類の発展と楽しみであり続けることを祈る。
読書向田邦子【エッセイ】
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
今年も昨年同様、よろしくお願い致します。
【エッセイ】
一日が終わり、今日も夕食を授かり、習慣のようになった意味のないテレビのスイッチは入れず、
一息つき、最近購入していたばかりの本、向田邦子さんのエッセイ集を開けた。
以前から、少しばかり時間が出来るとページをめくる程度である。
読みだすと、決まって面白い。
ときには声を出して、一人笑いをする時もある。
良く分からない男が、一人笑いをする?
自分の事ながら、その姿をあまりいい感じには想像できない。
エッセイは一挙に昭和へとタイムスリップする。
そして、登場するのは向田さんの両親。
向田さんが中学生ぐらいの年齢頃なのか、女中のように家事手伝いをしていた。
女中ではなく、両親の言いつけを守っていたというのが正しい。
その時代の家事手伝いは、子供にとっては当然の仕事でもあった。
そういえば、向田さんの家だけがそうであったのではなく、子供の家事手伝い無くして、一般家庭の生活は回って行かなかった。
そして何処の父親も、まじめで偉かった。
勿論それを支える母親も、献身的だったと思う。
子供は父や母親の言いつけを守った。
その本はまだ読みかけではあるが、以下、その中のエッセイの一つ、邦子さんの祖母の葬式の時の話が興味深い。
『その日は祖母の葬儀だった。
突然、父の会社の社長が来てくれた。
地方の一支店長だった父親は驚き、恐縮極まりないと言った様子で、平身低頭、上がり框に頭を付け平伏した。
日常の父親の見たこともない姿だった。』
古来家長として君臨する父の姿から、世間のしがらみより、家族を守る姿に変わった。
晴天の霹靂といえる出来事だったようだ。
邦子さんの父親の姿と、読者である自分とが重なり、思わず涙が吹きあがってきた。
涙があるとすれば娘の邦子さんであって、読者ではないはずである。
読書は面白い。
トイレの中ばかりではなく、
ゆっくりと、あえて時間を取りながら、
続きを読まなければならないと思う。