日記

2025-04-18 00:28:00

5年日記

今日の日記は面白くないので、読み飛ばしされてもいいと思います。

五年日記を書いている方に聞いた話ですが、たとえば何もなかった日には「特に何もなし」とか書くのだそうです。確かに正しく長く続けられかもしれません。続けることにこだわりることも日記の魅力の一つです。本当のところ書けないのが今日の状況です。

といいながらつまらないことを書き続けることは、閲覧していただく皆様にとって御迷惑な行為になるかもしれません。だらだらと取り止めもなく書き続けたら結果はどうなるのでしょう? 文章を書き残す行為そのものは、混沌とする現代文化の一類とも云える気がします。今や文化は予測が出来なくなりそうです、理由があります。それは生成AI、略してAIの登場で、もはや情報の真偽さえ困難ににりつつあります。AIさえがあれば良い友達や伴侶や先生や後輩も、極論を云えば家族さえいらなくなる? そんな気がします(決してそうならないと思いますが・・・)。人口が減っていく恐ろしい未来です。便利な気もしますが未来が怖いですね。今のままでよいような気もしますが時代だけが勝手に進歩するのです。なぜか? 人が努力しなくてもAIが勝手に勉強をし続けますから。

といいましても何も心配はいりません。人は創造する能力があるからです。それは音楽、絵画、文学であり、すなわち芸術です。AIは学習によりそれらの模造はできますが、人の創造や人徳を超えることは不可能です。創造とは命そのものであり、もっといえば命を削ることです。命を削ると人はその存在が消滅します。つまり死ぬということです。芸術の表現は人の生きる姿であり生命の表現であり、生きるための最も必要な要素なのです。AIに死は存在しません。未来と共に永遠(?)に存在し、いつかそれに代わる何かが出現することはあるかもしれません。つまりあるとすれば刷新であり不滅ではないのです。不滅の存在はこの三次元の世界にはあり得ません。安心してください。死の存在する人間をAIは超えることが出来ないのです。

書くことがない日だと思っていたら、AIの話に変わってしまいました。

今日の日記でした。屁理屈を書いたりしてすみません。最後まで閲覧していただき感謝申し上げます。ありがとうございました。