日記

2025-02-05 22:25:00

方丈記

「ゆく河の流れはたえずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」という冒頭の句からはじまる方丈記(うたかたは水の泡の意)をご存じのかたは多いのではないでしょうか。この方丈記は当時(鎌倉時代初期のころ)歴史的事実や日常の出来事や心境の変化等を書き綴った日本最古の随筆といわれています。この随筆は鴨長明(かものちょうめい)というお方が京都日野山(京都伏見市醍醐集地域あたり)にて小さな庵(いおり)をたててそこに約五年間ほど立てこもって書いたそうで、記述内容ごとにいくつかの段落から構成されています。庵と書いてありますが実際はほったて小屋ではなかったのでしょうか? もしかして立派な茶室のようだったかもしれません。しかし随筆全体の文面から推測すれば、決して立派とはいえる庵ではなかった気がしてなりません。その大きさは三M四方(四角の広さ)一間(ひとま)でした。方丈の「方」は四方形を、また「丈」は三Mという長さの単位を表します。つまり三M角の部屋という意味で方丈記となったのでしょう。今ふうにいえば八~九平米ぐらいの広さといったほうがわかりやすいかもしれません。それはともかくとして、その最後の段は当然ですが、長明の随筆活動を終える様子が書かれています。しかしその終わる理由というべきか、彼自身の庵生活の最後の心境が単純で簡潔すぎて真意がいまいちど理解できないのです。過去における自身の遍路生活の経験もかんがみつつ、個人な独断にすぎませんが、丁寧かつ詳細な口語訳も試みました。鴨長明の当時の庵生活上の心の深層に少しは近づけた気がしています。しかしながらとりあえずその庵があったといわれる日野山に行ってみたいと以前から思っていました。グーグルで検索したところ、醍醐寺近くまでバスに乗り、そこから日野山(原文に登場する場所)に登って三十分ぐらいだとか、そう遠くなさそうなので近々行けないかと思っています。できたらその様子をアップできたらいいなと思っています。